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はじめに
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自己紹介
- はじめまして。川口市で70年以上、醸造品を扱う株式会社アライです。
私たちは、1953年に味噌の卸小売業「新井商店」として創業。1975年に現社名となり、創業から70年以上、川口市を拠点に味噌や醤油、酒類を扱う醸造品・飲料の卸売業を営んでおります。
この度、当社では会社創業50年を契機に、原点である「味噌」で飲食を通じて街を盛り上げたいという想いから、クラウドファンディングを立ち上げました。 -
本プロジェクトで実現したいこと
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- これまで、かつて川口で盛んだった麦味噌の醸造文化を復活させ、未来に継承するため、味噌づくり体験や歴史の伝承活動を行っています。
今回、本プロジェクトで支援いただいた資金で、ご支援いただいた皆さまへのリターン品の提供と併せ、より多くの地域の皆さまに川口の味噌文化を知ってもらうために下記を実現したいと考えております。
①川口の味噌の歴史動画の作成
②市内の小・中学校に新開発の味噌を寄付
子どもたちが動画で歴史を学びながら、新しい川口の味に触れる機会を創出します。
皆さまのご支援が、川口の食と人、街を元気にすることにつながります。ぜひ応援よろしくお願いいたします! -
川口の味噌文化と株式会社アライについて
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江戸後期~昭和初期の川口味噌文化
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- 全国各地の気候や風土が色濃く反映された調味料・味噌。
古くから地域食文化の象徴として、色々な種類の味噌が根付いている地域が多い中、かつての埼玉で盛んだったのは、深い旨味とコクに塩味や酸味が調和した、辛口タイプの麦味噌造りでした。
特に川口は近隣から入手が容易だった大麦、豊富に沸き立つ上質な地下水、そして江戸との水運環境に恵まれたことで、天保元年から本格的に醸造が開始。ピーク時には南平地区(現在の荒川沿い)を中心に10の工場で醸造されていました。
当時の文献によると埼玉の麦味噌は「風味や色艶ともに比類なきものとして、東京では味噌界の王座を締めている」と高評価を獲得。
天然醸造で長持ちすることもあり、江戸だけでなく現在の大阪や北海道、樺太や南洋にまで流通していました。 -
株式会社アライについて
- 1953年(昭和28年)に初代の新井信雄が近所の味噌蔵の番頭を辞め、味噌の卸小売業「新井商店」として創業。
1975年に時代の変化に伴い現会長の新井俊雄が酒販免許を取得し現社名となり、創業から70年以上(会社として50年)川口市を拠点に味噌や醤油、酒類を扱う醸造品・飲料の卸売業を営んでおります。 -
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地元へ恩返し
- 創業してまもなく創業者信雄が他界し、妻妙子と長男である現会長の新井俊雄が跡を継ぎ、夜間は学校に通いながら日中は店を切り盛りしていました。
商売のことは手探り状態ながらもメーカーに同行してもらいながら営業を学び、受注から配達まで自らこなす日々を送りました。そんな中、味噌だけでは経営上不安だと思い酒類の取り扱いを始めたり、小売りと並行して飲食店などの法人向けの商売も開拓していきました。
今でいう業態転換には非常に大きな苦労がありましたが、ここまで会社を継続できたのは当時助けていただいた方々の支え、教えがあったからです。 -
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川口の味噌、復活!
- 今から15年ほど前から徐々に、商売の原点が“味噌問屋”だったこと、川口では味噌醸造が盛んだったことなどを思い返し、地元に何か恩返しができないか?と考えました。
川口の味噌の歴史を知ってもらい川口への愛着、郷土愛を育みたいと考え、川口で作られていた味噌を復活させました。
当初、市民団体や農家さんにご協力いただきながら、最終的に既に醸造施設を整え「米味噌」作りをされていた「社会福祉法人ごきげんらいぶ」様に辿り着きました。障がい者の間接雇用にも繋がると考え、川口で作られていた「麦味噌」を作ってもらうお願いをして今に至ります。 -
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商品紹介
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川口の味噌の魅力を、もっと身近に
- 今回のプロジェクトの返礼品には、どちらを選んでも市内小・中学校へ味噌汁用の味噌の一部を寄付する内容が含まれております。
市内小・中学校の献立の味噌汁に使用される味噌の量は1回あたり450kgです。
プロジェクト成功の際には、川口市学校保健課を通して学校給食の献立の「味噌汁の味噌」として提供します。(提供は2026年4月か5月頃を予定しております。)
給食時には、今回制作する川口の味噌の歴史動画を放送していただくようお願いしております。 「食育」の一環として、子どもたちが給食を通して地域の歴史と誇りを五感で感じ、郷土愛を育まれることと願います。 -
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1.米麦合わせ味噌 | 新『川口の味噌』
- 現在、麦味噌を委託製造し始めて丸11年が経ちました。味噌の醸造元、社会福祉法人「ごきげんらいぶ」様は、川口の味噌の歴史を語るのになくてはならないパートナーです。
これまでお互いの商品を尊重し、大事にして参りましたが、更に発展させ働く場を創出し、誰もが活躍できる社会づくりに貢献する、新たな川口の味を目指すべく開発した新味噌です。 -
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2.弊社ブランド「川口御成道」シリーズ商品
- (1)味噌
大豆と米はすべて埼玉県産
多くの原料を使わない調味料だからこそ、原料の持ち味がストレートに現れるのが味噌の特徴。主役の大豆には行田産をはじめとした埼玉県産を100%使用。麦味噌と米味噌の味の違いを生み出し、コクや旨さを作りだす麦麹と米麹も国産にこだわり、品質基準をクリアしないものは省いています。 -
- 蒸し上げることで、大豆の旨味を逃さない
私たちが大切にしているのは、自然の恵みを最大限に活かすこと。主役の大豆は十分な水分を含ませ芯が残らないようにするため、洗浄を経て一晩水に浸しておきます。その後、蒸煮(じょうしゃ)という工程で大豆を柔らかくしますが、旨味をお湯に逃がさないために皮を残して蒸し上げます。 -
- ひと樽に想いを込めて
蒸し上がった大豆を計量し、麦麹あるいは米麹、塩を加えて練り上げたら、10キロ単位で樽につめて醸造します。ひと樽に想いを込めて、できるだけ昔ながらの製法に忠実に。旨味と栄養が凝縮した味わいを丁寧に作り出しています。 -
- 旨みが深まる長期熟成
味噌の表面に防腐を防ぐ化粧塩を施したら、麹の動きが活発になる温度管理を施して熟成させます。麦味噌は1年、米味噌は半年から1年、長期熟成米味噌は3年。完成した味噌の奥深い味や香りは、妥協のない仕事から生まれた結晶です。 -
- (2)純米酒
スッキリした切れ味と足腰の強いコクが広がる辛口の純米酒。コシがしっかりしており、常温、熱・ぬる燗、冷酒と、どんな飲み方でも味のバランスが崩れない、旨味と酸との調和が良い軽やかなお酒です。 -
- 米、水、糀。
日本酒の原料として欠かせない3つの材料の源は豊かな水にあり。
日本全国で古くから行われていた日本酒造り。
川口でも江戸時代から昭和前期にかけて盛んでした。
旧川口町や元郷村、そして十二月田村。
川口の造り酒屋に共通していたのが、荒川や芝川近くの低地に醸造蔵を
構えていたこと。
川近くの豊富な伏流水を使った酒造りが行われていたと考えられます。
また、市内にある勧福寺に建つ水神碑には、「川口の水で酒を醸造すると
味が良かった」と、酒造りに適した銘水としての歴史が刻まれています。 - (3)純米本みりん
原材料はもち米と米麹、そして焼酎のみ。
もち米は川口市産と埼玉県産を100%使用。糖類、酸味料、アミノ酸不添加。
自然な旨味が料理をおいしくする純米本みりんです。 -
- 実はみりん造りが盛んな埼玉県。
三河(愛知)や千葉と並ぶ日本有数の本みりんの産地として評価される背景には、
江戸時代から続く醸造文化や、豊富な水資源などの栽培環境、
そして良質なもち米栽培にこだわる職人気質があります。
川口御成道純米本みりんの原材料は、川口を始めとした県内で育まれたもち米と米麹、そして焼酎のみ。
昔ながらの製法で作る自然なうまみとあま味が、皆さんの料理をおいしくします。 -
3.驚きと笑顔を運ぶ『川口なんじゃ!?コーラ そこがミソ👉』
- 2025年8月30日のみその日に発売された「川口なんじゃ!?コーラ そこがミソ👉」
その名の通り「なんじゃこりゃ!?」と驚く新感覚のコーラが誕生しました。
このコーラの隠し味、実は川口市産の味噌なんです!そこがミソ! 一口飲むと、最初は不思議な感覚ですが、徐々に味噌の深いコクと香ばしさが広がり、クセになる奥深い味わいに。
地元への愛と遊び心から生まれた、驚きと笑顔を運ぶユニークな一本としてお土産や話のネタにご用意しました。 -
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もっと知ってほしい!動画で伝える川口の味噌の魅力
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地元川口の食文化を動画で発信
- このプロジェクトで初めて地元の子どもたちに学校給食の味噌汁で「川口の味噌」を味わってもらい、更に「川口の味噌の歴史」の動画視聴し、川口の味噌の歴史を知ってもらいます。
今後も継続して学校給食の味噌汁用に「川口の味噌」を提供できるよう、取り組んでいきます。
また、「川口の味噌の歴史」の周知については引き続き動画やSNS、学校や公民館、商業施設などでの味噌づくり教室を通して広報活動をしていきます。 -
さいごに
- このプロジェクトを通じて、私たちは川口の味噌の歴史をより多くの方々に知っていただきたいと願っています。
川口の味噌は、この地域の風土と人々の営みの中で育まれてきた、大切な文化であり、地域の誇りです。私たちは、この食文化を次世代へとつなぎ、子どもたちが地元への愛着と誇りを持てるような活動を目指しています。
幼い頃に心と体に刻まれた「ふるさとの味」は、大人になっても私たちを温かく包み込み、安心と安らぎを与えてくれます。私たちは、川口の味噌が、未来の子どもたちにとっても、そんな「心のよりどころ」となることを信じ、その歴史を創造していきたいと考えています。
この想いにご賛同いただき、未来を共につくる仲間として、ご支援くださる皆様との出会いを心よりお待ちしております。