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鎌倉時代に銘茶と謳われた慈光茶を都幾山慈光寺で約500年ぶりに復活!!
- はじめまして。
埼玉県のときがわ町で町田屋旅館という宿泊施設を営んでいる町田と申します。
東日本の茶文化の源流「慈光茶」は、鎌倉時代から室町時代にかけて、ときがわ町の慈光寺と都幾山(=慈光寺がある山)一帯でつくられていた、かつて“銘茶”と称されていたお茶です。
室町時代後期の混乱期にニ度の焼き打ちに会い、慈光寺は焼失し歴史上から姿を消すと同時に慈光茶も途絶えてしまいました。
今回のプロジェクトでは、慈光茶の復活に挑戦する私たちを知ってもらいたく、IBUSHIGINプロジェクトに挑戦させていただきます。 -
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ときがわ町について
- ときがわ町は都心まで45キロの距離に位置し、ぎりぎり都内への通勤可能圏内にあります。街には大きな商業施設はありませんが、その代りに都幾川(ときがわ)の清流にはヤマメやイワナが棲み、ホタルやカワセミの姿も見つけることのできる本格的な田舎になります。
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- ときがわ町は面積の約7割が山林で、街の中央を流れる都幾川沿いの平地に集落があり、“緑と清流”そして“巨木の里”でもあります。
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何故、慈光茶を復活させたいのか
- 人口1万人余人のときがわ町は街から出ていく若者も沢山いる反面、この街に移住してくる老若男女もいます。昭和の半ば頃までは小学校の授業として慈光寺でキャンプをしたり、遠足で街の史跡を訪れたりと、自然と街の歴史文化が子供達に伝承されました。
しかし時代が下るにつれ、学校教育の中で地元の歴史文化に触れる機会も減少する中、詳しい先人も次第に居なくなり気が付けばときがわ町のシンボルである慈光寺1300年の歴史を語れる者が町内に一人も居なくなってしまったことを知り、何とも言いようの無い寂しさに襲われました。
このままではこの街を故郷として育って行く子供達が自分の故郷に誇りも自信も持てない人間に成ってしまうと危機感を覚えました。 -
観光農園としての新たな価値
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- そこで思いついたのが「途絶えた茶園を都幾山に再生し、参加型観光として県内はもとより全国に発信し茶木の植樹や下草刈り、そして茶摘み・茶作り教室でお茶を作り飲んで貰うことでこの街の茶の歴史と文化伝統に触れて貰いたい」という事です。
遠回りかもしれませんが、いずれは地元に浸透して子供達が参加体験を通して自分の故郷に誇りと自信を持った人間に成長していただきたい一心で、この度『慈光茶』を製茶することになったわけです。 -
茶園を再生する、(都幾山)慈光寺の歴史~源頼朝が戦勝祈願をしたお寺~
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- 都幾山慈光寺は西暦770年に鑑真和上の一番弟子釈道忠により創建され、埼玉県第一号の国宝「慈光寺経」を有します。慈光寺は武蔵武士団の名峰的な存在、畠山重忠所縁の寺として鎌倉幕府創建の原動力となりました。その勢力※は「西の比叡山、東の慈光寺」と呼ばれていたほど。
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※「勢力」について
日本中世において、武家政権・朝廷・寺社勢力が権力を三分化しており、それぞれが独自の「軍事」「行政」「経済」「文化」を構築していた。武家政権や朝廷のように権力中枢があったわけではなく、各寺社が独立して行動し、また一寺社でもさまざまな集団がせめぎ合っていたため、「勢力」という表現を使います。
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- 慈光寺は源頼朝が奥州(藤原氏)征伐時に戦勝祈願を執り行った寺になります。そして鎌倉幕府が開かれた後、源頼朝により絶大なる保護をいただいた寺となります。
この頃、都幾山には次々と僧坊(高僧・修行僧・僧兵が住む建物)が造営され密教儀式が営まれておりました。その数はなんと75の僧坊と非常に多かったそうです。
密教儀式としての重要な役割を担った「お茶」。次々と僧坊が造営されたことから、時の栄朝上人により都幾山に茶園が営まれ、東日本のお茶発祥の地として武蔵国の銘茶「慈光茶」を育み、静岡茶や狭山茶の源流となります。
※本プロジェクトでは語り切れないより詳しいご案内については本プロジェクトでお届けする「ツアー」でご案内させていただきます。 -
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リターン紹介
- 2023年に摘んだ新茶でご提供させていただきます。
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1.【新茶】慈光茶(煎茶、ほうじ茶)と慈光ほうじ茶ようかんセット
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- 飲みやすい一煎パック(1杯分の茶葉)の慈光茶と、慈光ほうじ茶ようかんのセットをお届けします。セット内容:【慈光茶】煎茶10個、慈光ほうじ茶10個【ようかん】慈光ほうじ茶ようかん8個
- 【煎茶の美味しい淹れ方】
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- 【ほうじ茶の美味しい淹れ方】
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2.慈光寺歴史案内ツアー+慈光茶(煎茶、ほうじ茶)と慈光ほうじ茶ようかんセット
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- 日付:支援者様と個別でご連絡させていただきます。
時間:午前10時~午後2時(途中30分のお昼休憩、お抹茶付き)
参加人数:1リターンあたり一名(2名以上から同時参加上限人数4名)
~内容~
狭山茶や静岡茶をはじめとする、東日本の「茶」発祥の地となった慈光茶の歴史を、慈光寺の歴史と併せてご案内。
臨済宗妙心寺派寺院の霊山院にて、お抹茶をお点て致します。
~概要~
「開山」から源頼朝がこの寺を背景に鎌倉幕府を開き全盛期を迎えた「鎌倉時代」、世の混乱による衰退の道を辿った「室町時代」、徳川幕府の支援により復興した「江戸時代」その後、「明治維新」から幾多の困難を経てきた「今日」までの1300年の歴史をご説明。
古代、中世の75坊の僧坊跡を巡りながら、慈光寺が持つ修験道者による山岳信仰、天台密教、観音信仰の様々な側面と「東日本お茶発祥地」として慈光茶を世に出した茶の歴史、埼玉県第一号の国宝や四つの重要文化財等の伝来、修復等を楽しく分かり易くご案内させていただきます。
※慈光寺1300年の歴史をご説明できる者はときがわ町で私1人になります。 -
慈光茶の復活に協力してくださるSAYAMA TEA STYLE様のご紹介
- SAYAMATEASTYLEは狭山茶を基軸としたお茶のコンサルティングをメインとし、お茶のツーリズムや商品開発を行う地域活性化のための事業体です。
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- 狭山茶に関わるものごとはさることながら、お茶の生産、物販、飲食、情報発信、教育や観光、地域ならではの素材と連携したものつくりなど、既成概念にとらわれることなく連携を強めて新たな価値の循環を生み、地域の課題に応え、地域資源とお茶のスタイルを組み合わせる仕組みを作り地域における誇りや愛着を育みながら‘’地域や社会のより良い循環と未来価値を創出すること‘’を経営理念としています。
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ときがわ町でともに頑張っている方々からの応援コメント
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- ときがわ町が好きで20年位前から水だしコーヒー店を始めときがわ町の観光に火を付けた第一人者です。年間10,000人程のリピーターを抱えているほど。
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さいごに
- 500年の歴史を繋ぐ慈光茶の存在は、悠久の時を越えて日本茶の伝統を伝える稀少なお茶となります。伝来のお茶の味を楽しめることは残念ながら今を生きる私たち現代人にはございません。
古代遣唐使により大陸から運ばれた都幾山中に野生する茶木から、労力を惜しまず数十人の人の手により茶葉をいちまい一枚摘み取りお作り致しました。
慈光茶とは飲む方を1300年の歴史に誘いその時空を共に感じていただくお茶でございます。
慈光茶が歴史と文化を伝え、人と地域を結んでくれることを希望するものでございます。